濱野成秋は、アメリカ文学の研究と小説・評論の執筆に取り組んできました。学術著作は本名の濱野成生名義で発表しており、図書館の書誌では「浜野成生」とも表記されています。
堺市丈六で空襲を経験し、戦後は進駐軍から英語を学びました。慶應義塾大学ではアメリカの若者思想に関心を寄せ、ロスト・ジェネレーションとビート・ジェネレーションを比較。その後、ユダヤ系アメリカ文学やポストモダン文学を研究し、ニューヨーク州立大学バッファロー校などで教育にも携わりました。
2001年4月から2002年3月には、東京大学アメリカ太平洋地域研究センターの客員研究員を務めました。同センターの公式記録には、当時の所属が日本女子大学文学部英文学科教授と記されています。
日本の詩歌にも幼いころから親しみ、研究と並行して創作を続けてきました。鈴木孝夫氏との対談では、子ども時代の百人一首や歌づくり、アメリカでの詩の朗読を振り返っています。日本浪漫学会では、こうした経験を生かし、詩歌を読み、声で味わい、歌として届ける活動に取り組んでいます。
基礎資料日本浪漫学会「濱野成秋略歴」 ↗
